広島高等裁判所岡山支部 昭和39年(ネ)10号 判決 1968年5月31日
控訴人(債務者) 株式会社山陽新聞社
被控訴人(債権者) 則武真一外四名
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者双方の求めた裁判
控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人らの申請をいずれも却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、
被控訴人らは主文と同旨の判決を求めた。
第二当事者双方の事実上の主張、証拠の提出・援用・認否はつぎに附加するほか原判決事実摘示のとおりであるからそれをここに引用する。
一 被控訴人らはつぎのとおり述べた。
(一) 本件解雇が労働協約の解雇承認約款に違反し無効であること
控訴人は、本件にあつては組合の承認を期待しえないことが明らかであるから、その承認を得ないで解雇したのは適法であると主張するが、協約締結に至つた情況、協約の意義などからみて右のような解釈は許されず、解雇には組合の承認を必要とする。
1 山陽労組においては、昭和三一年頃から若手の組合員が中心となつて労働条件の向上と組合組織強化のための活動を始めたが、控訴人はこれに不当介入をもつて対抗してきた。組合は昭和三四年から、本件人事条項を含む労働協約改正の要求を控訴人へ提出し、組合がストライキを行うなど強力な争議手段をとるなかで、昭和三六年七月ようやく妥結し、細目に亘る交渉を半年以上も続け、昭年三七年二月労使の調印に至つたものである。本件の人事同意約款は組合の長期間に亘る忍耐と犠牲のもとに確保した重要な条項である。
2 一般にわが国の労働組合は企業内組合であるため労働組合員に対する使用者側の監視は深く浸透し、組合組織の維持はきわめて困難である。特に、使用者は各種の人事権を行使して組合活動家をチエツクするので、組合が使用者のもつ人事権を拘束しその恣意的な判断を許さないことがその組織を守る上で肝要となり、同意約款が締結される所以が右の点にあることは勿論であるが、さらに組合の同意をうる手続に付することによつて、労使間で協議が行われ、当事者の判断が変更される可能性が考えられることにもあるから、使用者が独断で組合の承認を期待しえないものとして、同意をうる手続の場で協議する機会を奪うことは許されない。
3 本件一連の処分は、被控訴人ら五名を解雇し、執行委員を停職二ケ月ないし出勤停止一週間に付する極めて重い処分であり、個人的不利益は勿論のこと組合組織にとつても重大な結果をもたらすものであり、協約所定の手続きを省略して解雇することは許されない。
4 控訴人は、組合の承認を期待しえないことの根拠として、被控訴人らが賞罰委員会への出頭を拒否したことを指摘する。しかしながら本件の処分は組合活動が対象となつており、人事条項所定の承認の前提として団体交渉の場において協議すべき事柄であり、労働協約上の機関でなく就業規則に定める会社の機関にすぎない賞罰委員会に付すべき事項でなかつたので、組合は地方労働委員会へ斡旋の申請をし、賞罰委員会への出頭を拒否したものであるから、このことから承認を求める手続をとることが不要となるものではない。
(二) 控訴人の組合弾圧と不当労働行為
1 控訴人は、山陽労組員の家族、親族、保証人を通じ、また社報、社報号外によつて組合敵視を強調し思想攻撃をし、組織攻撃を展開し、弾圧を計りながら、搾取の強化を図るため合理化体制を強めた。
(1) 控訴人は、昭和三七年六月、従来総務局の一部門であつた労務部、人事部を分離し、これを中心に企画局を新設し、労務管理体制を強化拡充した。
(2) 会社は、同月突如就業規則を変更すると称して改訂案を組合に提示した。それは労働条件の変更を含むものであつたから、団体交渉に応ずるよう要求したが、会社はこれを無視し、団体交渉をもつことなく、同年八月これを実施した。その新就業規則は労働者を仕事にしばりつけ、懲戒の規定を拡大し、処罰の条項を細分化し、旧就業規則を著しく改悪したものであるが、この実施により合理化推進に抵抗する労働者と労働組合の活動への弾圧の法的準備をととのえた。
(3) 控訴人はこのころから団体交渉の場でも、生産性附加価値などにふれ、会社の従業員数が多すぎると言明していたが、第二組合は昭和三七年七月の大会で「会社の従業員数が多すぎる、合理化を押し進めねばならない」と控訴人の方針に協力する態度を打出し、本件解雇に当つては、山陽労組幹部を処分せよ、と控訴人へ要求した。
2 本件解雇後における不当労働行為
(1) 本件解雇後、山陽労組員と第二組合員との間の賃金、一時金の不当差別は年を追うて顕著になり、昇給額においてもその格差は平均六、七千円近くにもなつているほか、年二回支払われる一時金においても一回当り一万五千円から二万五千円程度不当に減額されている。
(2) 山陽労組の活動家を僻地へ配転する例は多く見られたが、本件解雇後においては、記者から販売拡張員、広告外交員へ或いは電話交換手から工務局活版部へ配転する異職種配転が行われるようになつた。
(3) 山陽労組からの脱退を拒否した者に対し、非道、人命無視の首きり配転が行われている。
(イ) 東京支社勤務高原敏子の不当配転。
(ロ) 香川県小豆島での勤務を条件に入社し、しかも病身の妻をかかえていた井本長谷親を、停年退職直前、本社校閲での研修を理由に配転を発令し、夫人はその心労で死亡し、本人は配転撤回を要望していたが、就業規則違反で解雇した。
(4) 第二組合員に対しては恩賞として昇任、昇格が行われ、山陽労組員は一貫して冷遇されている。また身分についても、第二組合員が主事、副参事、参事の資格を得たときは例外なくその身分を与えられているのに、山陽労組員はその資格を得てもその身分を与えられないかまたは与えられても著しくおくれている。
(5) 山陽労組員に対し、遅刻、欠勤が多く上司に反抗するとして元書記長を停職三ケ月に付したり、電話料のつけ落ちがあるとして主任の役職を剥奪して不当配転したり、組合ニユースに虚偽の事実を記載したとして執行委員長以下四役を停職一ケ月に付するなど、処分攻撃をつづけ、また山陽労組員を排除しようとする文書による誹謗、中傷は日々激しさを加えている。
(三) 本件のビラを配布するに至つた事情
本件ビラが配布された時期は、山陽労組に分裂がもちこまれ、会社側の露骨な不当介入、第二組合を使つての組織破壊攻撃、会社・第二組合からの文書による山陽労組への誹謗中傷、会社本来のねらいである営利本位の合理化推進、労働条件の切り下げ、弾圧を目ざす就業規則の改悪などあいついで労使関係は緊迫した事態にあり、しかも山陽労組にあつては会社側と交渉で解決できる条件は全くないという非常事態にあつた頃である。
また労働強化、組合攻撃を内容とする営利本位の合理化を推進する会社の態度は新聞紙面に反映しないはずがなく、百万都市報道における偏向はまさにそのあらわれであつた。控訴人が権力と結着し、紙面で百万都市一月合併を宣伝し露骨な偏向報道をしていた事態を新聞労働者の良心が許さないのは当然であつた。本件ビラ配布に至る間に、山陽労組は、あらゆる機会を通じ、紙面偏向を改め真実の報道をするよう会社に要求しつづけてきたが、控訴人は組合が真実の報道を要求することさえ許さないほど偏見にかたまつており、こうした忠言が容れられる余地は全くなかつた。
控訴人は、山陽新聞に佐世保事件の報道記事をのせるにあたり、共同通信社から送られた原稿のうち「機動隊帰れ」の部分を「全学連帰れ」と訂正してこれを見出しとし、記事の全体の論調もこれに沿うよう改めており、このことは新聞界に大きな反響を呼んだが、このことは控訴人の編集方針が極めて保守的であり権力に追随するものであることを証明している。
かくて山陽労組は、職場の労働条件や権利がそこなわれている状態では真実の報道が行われないとして、百万都市合併につき偏向報道をするような経営者であるからこそ、社内では、労働者の生活や権利を不当に弾圧するという本質を明確にし、そのことを地域の労働者、読者、市民に訴え支援と共斗を呼びかけかつ、控訴人の右のような保守的で権力に迎合する態度について反省を求め、控訴人が読者の信頼を回復することを意図して本件ビラを配布するに至つたものである。
(四) 百万都市計画と山陽新聞の偏向
1 百万都市計画の本質
百万都市計画は、尨大な面積と人口を擁する県南三三ケ市町村を合併し、これに巨額の投資をして、昭和四五年までに水島を中心とする産業基盤を整備し、併せて各種社会開発を行うものであり、それは昭和三五年池田内閣によつてうちだされ、わが国の重工業の国際競争力を強化しようとする所得倍増計画に基くものであつたが、その地域開発は地方に進出してくる重工業、とくに鉄鋼、電力、石油化学等の産業基盤、すなわち港湾、工業用水、鉄道、通信施設、道路等を整備することをいうものであり、右地域開発を県内で具体化するものとして提唱されたのが県南広域都市計画であつた。このことから明らかであるように県南広域都市計画は巨大資本のための産業基盤の整備を主要な目標としており、地域住民のための生活基盤の整備は等閑に付されている。しかも県の計画によると新市の財政負担は巨額に達し、それは住民の負担を増大させ、サービス行政を低下させることは必至である。
このように税負担の増加、生活基盤に対する脅威、公害等直接住民に多くの不利益をもたらし、行政区画の拡大は地方自治体の機能を損い、中央集権的なものに転化して地方自治が大きく後退し、破壊される危険があつた。
かくて多くの労働者や市民は、この計画は独占資本に奉仕するもので、労働者や地域住民に幸福をもたらすものでないと考え、この計画に大々的に反対運動を展開した。
2 百万都市一月合併の推進とそれに対する反対運動
一月合併推進と反対の動きはつぎのとおりである。
三木知事はこの計画発表以来、水島は金の卵であり、これを包んで県南三三ケ市町村を合併し、太陽と緑と空間の理想的な街をつくると称して、昭和三八年一月一四日合併実現をめざす推進運動を大々的に進めた。計画発表の直後である昭和三七年三月初旬、自ら本部長となつて県南広域都市建設推進本部をつくり、基本計画の完成を急ぐとともに、関係市町村に対しては、直ちに合併のための準備を始めるよう指示し督励した。
県の合併推進の態度はきわめて高圧的であり、一月合併を目指しての手続のみが強引に進められ、合併の利害得失が住民に十分明らかにされず、住民の納得を得る努力が全くなおざりにされたため、県民の間に、百万都市そのもの或いは一月合併について疑問や不安が増大していつた。
右計画発表直後、岡山・倉敷両市長があいついで、合併は時期尚早との意見を発表し、また革新政党、民主団体、労働組合等も百万都市計画への疑問から多面的な調査活動を進め、同年四月岡山県総評は水島開発などで県知事に公開質問状を出したりしたが、各民主団体、労働組合などは調査・研究のうえ右計画に反対する立場を強めていつた。
反対運動の共斗組織としては、同月百万都市対策倉敷市民会議が結成され、五月には社会党、共産党、自治労県本部、県総評によつて百万都市対策連絡会議が結成され、これと前後して玉野市では玉野市政を明るくする会が、西大寺市では市民共斗会議がそれぞれ発足し、九月には岡山市のおもだつた労働組合、民主団体を結集して百万都市岡山市民会議が発足し、一一月にはこれらを総結集して百万都市一月合併阻止岡山県民会議に発展し、反対運動は多彩な形態ですすめられた。
このような反対運動の高まりのなかで、岡山・倉敷両市長も明確に反対の態度を打ちだすに至り、県民の反対運動は一月合併を流産させたのであるが、本件ビラは、このような反対運動が最高潮を迎えようとし、県の態度はいよいよ高圧的となり、ときあたかも計画推進決議が岡山・倉敷両市議会において議せられようとする緊迫した情勢のもとで反対運動の一環として配布されたものであつた。
3 歴史的に実証された百万都市計画の破綻
百万都市一月合併はついに流産したが、その後の歴史的経過は、右計画が単に一月合併の流産という形で破綻したのにとどまらず、計画の基本的な体系自体が大きく破綻したことを示した。
地域開発は、地域住民に生活の向上をもたらし、農業は近代化し農・工業の格差を是正するとのことであつたが、現状はそうでなく、重工業の高度成長は過剰生産と財政・信用の膨脹に伴う物価騰貴を招き、農業は、労働力の重工業への集中の結果その不足に悩み、加えて用水、耕地の不足からその生産力は低下した。
右のように、工業地帯造成によつて地方繁栄の拠点を築き、近代農業を実現して農業経営の安定と発展をはかり、県民全体の幸福を願つて百万都市推進の立場をとつたとする控訴人の考え方も、いまや事実によつて致命的な破綻をみせているのである。
また地域開発の破綻は地方財政の破綻としてまず現われている。工場の建設はそれに伴う諸施設の整備に莫大な投資を必要とし、そのため地方財政を大きく圧迫している。
さらに水島では、近隣の植物の枯死、気管支喘息、眼病などの公害のため住民の生活は害されている。
重工業の進出は近隣の中小企業の倒産を招いている。
右のように百万都市計画は大きく破綻したが、それは地域住民の利益は犠牲にしても一部の独占企業の利益に奉仕しようとする地域開発政策の本質からくる矛盾にその原因がある。
4 山陽新聞の百万都市報道の偏向
昭和三七年二月、県が公式に百万都市計画を打ち出した後、山陽新聞のそれに関する報道は、県の計画を推進する立場に立つてなされた。計画推進に有利な記事と不利な記事とは、紙面に掲載するに当つて、その行数、位置、見出し、掲載回数などにおいて大きく差等をつけられたし、また取材の面でも意識的に差別され、のみならず不利な記事は改変あるいは削除され、同年七月一七日朝刊に掲載された吉沢記者の「倉敷市議会特別小委」の記事の如きは、決定的な事項につき反対にうけとられるよう改変されたし、また計画推進に反対ないしは批判の意見をもつもの或いは反対運動に対してしばしば中傷が行われた。
このような山陽新聞の偏向は、本件ビラが配布された頃にむけて異常なまでに露骨になつていつた。
(五) 合理化推進、人べらしと本件ビラ
本件ビラ配付は、前記のように百万都市問題に関する偏向報道を指弾し、真実の報道を要求する目的に出でたものであるが、このような偏向を可能にし、かつ偏向につながる職場の実態を訴え、労働条件及び労働慣行を維持、改善することをも意図していたものである。
労働者の組合活動は劣悪な労働条件と無権利状態を改善しようとする切実かつ当然の要求から出発し、被控訴人らを中心とした青年労働者の斗争によつて発展し、昭和三六年七月労働条件、経済条件の改善を獲得したが、会社はそれ以来合理化政策、組合弾圧政策をとり、とくに昭和三七年二月組合に分裂を持ちこんで以後、その利益確保実現のため管理体制の確立、強化につとめ、機構改革、人員削減によつて労働条件を大幅に低下させた。
本件ビラは控訴人の右のような政策に対抗する職場及び組合の切実な要求を背景として配布されるに至つたものである。
1 合理化推進体制及び管理体制の確立、強化
(1) 企画局の新設
控訴人は昭和三七年六月企画局を新設し、同局に企画調査部を設け、経営計画の調査立案、組織諸制度の新設改廃に関する調査立案をさせ、合理化推進体制をとり、同局の労務部の人員は増加され、管理体制の強化・拡充を図つた。
(2) 合理化推進の総元締めとしての総合企画審議会の設置
控訴人は昭和三七年七月企業の体質改善を目途し綜合企画審議会を設置し、同時に漢テレ専門委、組織専門委、事務専門委の三委員会を設け、合理化体制をとつた。
(イ) 同年一〇月一九日の総合企画審議会で、企業の体質改善、経営基盤強化の具体化として利益計画実施要綱を定め、この利益計画を妨げるものは、会社及び従業員共同の敵であり断固排除すると公言し、搾取強化に反対する労働者に対して首きりをもつて挑戦した。
(ロ) 利益計画は半年ごとに作成され、職場では出張の制限、取材のための自動車使用制限などがきびしく行われ、労働強化が推進された。
(3) 管理体制の強化
(イ) 就業規則の改悪
控訴人は昭和三七年八月就業規則の改悪を実施し、従前の労働条件、労働慣行を否定し、職場規律の強化の名目の下に、人権を無視した規制を労働者に加えた。その模様はつぎのとおりである。
組合ニユースのガリ版きりは従来就業時間内の手持ち時間を利用して行つていたが、これが禁止された。
昭和三七年八月頃から、会社役員、局長の当番制による夜間の居残りを実施し、早朝から深夜まで労働者の監視を強め、一分遅刻しても文書による遅刻届を要求した。
昭和三八年三月、本社通用門にタイム・レコーダーを設け、厳しく出入門の規制をした。
職場で座席を離れるときは、職制に行先を告げることを義務づけた。
(ロ) 昭和三八年五月一日会議室使用内規を実施し、施設管理権によつて組合活動の場所や内容を実質的に制限した。
(ハ) 労務職制の充実、職制会議、部局連絡会議の度重なる開催により管理体制の維持強化につとめた。
2 合理化推進と機械導入の実態
(1) 控訴人は、昭和三七年九月山陽案内広告社を、同三八年二月山陽新興株式会社を、同年一二月株式会社山陽計算センターをそれぞれ設立し、多くの従業員が同社へ出向させられた。
(2) 昭和三七年九月、工務局にキヤスター一台、キーボート二台を増設し、全自動化可能行数を一〇〇パーセントカバーできる体制をとつた。
(3) 昭和三八年一月、電子計算機の導入を含む事務合理化、記者再教育、編集部門の合理化、漢テレ体制の推進など機械化、合理化計画を発表し、着々と実施した。
(4) 同年九月販売局発送部の機械化として、ベルトコンベアー二台と高速こん包機を増設し、合理化推進の名の下に朝刊の逓送業務を社外の業者に下請けさせた。
(5) 昭和三九年二月、夕刊の逓送業務を社外の業者に下請けさせた。
(6) このように機械化、機構改革などが実施され、合理化が推進された結果職場の人員は減り、労働条件は著しく低下した。
3 新勤務体制の実施により合理化の総仕上げを図つた控訴人は労働者の労働条件を切り下げるため山陽労組に対してのみ労働協約破棄通告をしたうえ、昭和三九年七月勤務体制の改悪を強行した。それはつぎのようなものである。
(1) 従前の一日八時間拘束の勤務を四週一九二時間拘束の勤務とし、四週を通じて一九二時間を超過した場合に時間外手当が支払われることとされたため、新聞企業の特殊性から従来認められていた労働慣行である非番休日、早帰り制の既得権を奪い、時間外手当を大幅に削減した。
(2) 時差出勤が強化されたため、従前の手持ち時間がほとんどなくなり、労働密度は一段と高まつた。
(3) 職場集会などの組合活動も時差出勤強化のため一斉休憩がとれず支障をきたしている。
4 組合分裂後の労働強化、人べらし、賃金低下の実態
控訴人は組合分裂後、管理体制の確立、拡大を図り、合理化、人べらしを着々と実施した。新聞の大幅な増頁、増版をし、仕事量がふえたにも拘らず、職場の人員を補充するどころか人員削減をした。とくに編集局、製作局の製作部門でその傾向が顕著に現われ、また賃金面では同規模他社との格差が大きくなつた。
右のように、本件ビラによつて訴えられている状況が、まさに職場の現実となつているのである。
(六) 本件ビラの内容はすべて真実である
1 本件ビラの内容がすべて真実であることは、つぎに述べる点を除いては、すでに述べたところから明らかである。
2 白を黒にした報道について
(1) 百万都市報道において、きわめて反人民的な百万都市一月合併をいいことづくめのように画きだすことこそ重大問題である。
百万都市合併計画の欠陥と右計画に対する反対運動はすでに述べたところであるが、山陽新聞はこのような計画を、太陽と緑と空間なるキヤツチフレーズを用いことさら美化した報道をし、読者、県民をして百万都市は素晴しいとの先入観を抱かせ、誤認を与えたものであり、まさに白を黒といいくるめた虚偽の報道というべきであるし、また県民もそのように感じていたのである。
(2) 吉沢記者の原稿を改変したことについて
(イ) 倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会は県が当時提唱していた百万都市計画に倉敷市としてどう対処するかを検討する趣旨で設けられたものであるが、昭和三七年七月一六日開催された右小委員会の議事に関し、吉沢記者は「県の計画する七市二六ケ町村の合併より、高梁川下流の四市ないし三市の合併を中心に県の提唱には消極的意見のほうが多かつた」と送稿したのを、控訴人は「一部委員から県の計画する七市二六ケ町村の合併より高梁川下流の四市あるいは三市を中心に新産業都市の地域指定を受け合併に進むべきだとする意見も出た」と改変したものである。
(ロ) 当日の議事の主議題は、倉敷市として新産業都市建設促進法に基く区域指定を受けるべきか否かではなく、県提唱の三三ケ市町村の大合併に賛成するか否か、或いは倉敷市周辺三市、四市合併のいわゆる段階合併で進むか否かであり、右区域指定の問題は附随事項にすぎなかつた。そうして当日、一一名の委員のうち一名は県案に反対意見、四名は県案に対し批判的である高梁川水系三市、四市合併意見、二名はそれに近い意見を表明し、合計七名が消極意見であつた、そこで吉沢記者は事実に即して県の提唱には消極的な意見のほうが多かつたと送稿したのにかかわらず、山陽新聞の報道は問題点をそらし、あたかも小委員会が県案に賛成する方向に進みつつあるかの如き印象を与える記事に改変編集した。
(ハ) 右記事の見出しについても、「新産都法の地域指定をうける」とすべきものを「広域都市………地域指定受ける」とし、県案である三三ケ市町村合併と新産都市の地域指定とを一体のものの如く構成し、百万都市計画が国によつて支持されているという誤つた印象を読者に与えようとするものであり、不当な歪曲である。またワキ見出しに「合併時期なお検討」とし合併の時期のみがなお検討を要する事項であるにすぎないような表現をとつているが、当日の小委員会の結論は合併の範囲、時期とも含めて検討するというものであつた。
(七) 本件ビラ配布の従業員への影響
本件ビラ配布は山陽労組員を除く従業員の憤激をかつたものではない。第二組合員からの中傷、誹謗はすべて会社の意向をうけたものであつて労働者の発意によるものでないし、部長会から会社への厳重処分方の申し入れは部長会のメンバー五〇名のうち一四名からなされているにすぎず、部長のうちに反対意見の持主が相当数いたことを窺うことができる。
二 控訴人はつぎのとおり述べた。
(一) 解雇手続に違法はない。
仮に本件解雇があらかじめ組合の承認をうることを要するものであるとしても、本件にあつては組合の承認を期待しえないことが明白であり、このような場合承認なくして解雇しても協約上の手続に違反するものとはいえない。
組合は、賞罰委員会の事情聴取、釈明の要求に応じなかつたが、その理由は正当な組合活動に対し就業規則を適用して解雇するのは不当であるというにあり、控訴人が組合とビラ配布問題に関して行つた団体交渉においても組合は終始右と同様の主張を貫いた。そして組合が地労委に斡旋を申請した内容も「ビラ配布問題の責任者を会社の賞罰委員会で審理することについての紛議について」というものであり、解雇そのものについての斡旋申請ではなかつた。従つて地労委は第一回斡旋において双方から簡単に事情を聞いたのみで昭和三七年一一月二日の第二回斡旋の冒頭において斡旋打ち切りを宣した。
その後同月七日の団体交渉においても、組合は同様の主張を繰り返し、もし会社があくまで処分を進めるのであれば重大な紛議が起る可能性があるというなかば脅迫めいた言辞を用いついに団交を終つた。会社としては賞罰委員会の調査に基く報告をまつて処分手続を進める方針であつたが、組合は、前記のような主張を固持し、一切の調査、弁明に応じないとしたものであり、会社が処分中止を言明しないかぎり解決をみることはできない状態であつた。
(二) 山陽新聞に掲載された佐世保事件記事に関する被控訴人らの主張に対する答弁
控訴人の担当者は、佐世保事件の記事につき、通信原稿への加筆の許容限界をこえ文意を損う改変を加えるという過誤を犯した、これはその担当者が新聞本来の使命である客観的報道という点から当時の情勢判断上原稿の取扱いに苦慮したことに基くものであるが、右記事は元来雑感記事といわれるものであり、それは取材対象により或いは取材記者の主観によりかなりの差異が見られるし、共同通信から本件原稿を受けた新聞社の間でもその取扱いには可成りの差異があり、また右事件につき自社取材をした中央各紙の論調もその間に相当の差異があつたのが実情である。
右佐世保事件記事についての改変と本件ビラにいう白黒事件とは関係がない。
(三) 本件ビラの記載内容の検討とその評価
1 「山陽新聞の経営者は、人べらし=合理化をやるため、少々かなづかいがおかしくてもほつておけ、読者へのサービスが低下してもいたしかたない、と称している」とのビラの記載について
山陽新聞の経営者がそのような発言をしたことはない。昭和三七年八月一七日の編集局校閲部会において、校閲部長吉井木正夫が校閲基準緩和についての指示説明をした際、部員から、人べらしではないか、との質問があつたが、吉井木部長はこれに対し、校閲基準を緩和し、おいおい完全原稿に向つてくれば校閲作業は簡単になり、第一線に出て活躍したいとの部員のかねての希望にそうことができる、と説明したにすぎず、校閲基準緩和の目的及びその実施の経緯をみれば、それが人べらしのためのものでないことは明らかである。
2 「会社は記者の書いた原稿を書きなおし、白を黒にしたウソの報道をした」との記載について
新聞に対してこれほどひどい露骨な非難はない。それは単なる表現のゆきすぎと評価するには重大すぎる事柄である。この記載は、昭和三七年七月一六日開催された倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会の議事に関する記事を指すものであるが、つぎに右ビラの記載が虚偽の中傷、誹謗である所以を明らかにする。
(1) 前記特別委員会は新産都法の公布施行を前にして、同法による指定を受けるかどうか及び区域指定と合併との関係すなわち新産都法の解釈適用につき調査研究することを目的として設置され、市会議員全員をもつて構成されたが、小委員会は、特に新産都法の解釈適用の問題、具体的には新産都法による指定を受けた場合の得失の問題或いは新産都の指定と関係市町村の合併の問題等につき更に調査研究することを目的として設置され、市会議長、副議長を含め委員一四名で組織された。
而して前記七月一六日の小委員会の議題は、新産都市の区域指定を受けるべきか否かにつきすでに小委員会がした調査研究の結果のとりまとめにあつたが、これに附随して副次的に指定範囲の問題が論議され、当時岡山県が提唱していたいわゆる県南百万都市基本計画に言及されたものである。
(2) 前記小委員会のニユースは新聞記事としてはどのようにとらえるべきであるか
委員会のニユースを新聞記事としてとらえるには、委員会における主議題が何であつたかをわきまえ、その対象議題についての結論を中心として記事を構成すべきは勿論であるから、前記のとおり右小委員会における主議題が新産都法による指定を受けるかどうかについての調査研究結果のとりまとめにあつた以上、本件記事が、新産業都市の区域指定を受ける、合併は必要だが、新産都市の範囲や合併の時期などについてはさらに検討する、とその結論を冒頭に記載したのは正確であるし、地域指定の範囲の問題に関連して県案に対する賛否の意見が述べられたとしても、それは附随的な発言であり主要なテーマとしてとらえるべきものではない。
かくて、本件記事が、新産業都市の指定範囲に関連する意見として「一部委員から県の計画する七市二六ケ町村の合併より高梁川下流の四市或いは三市を中心に新産業都市の地域指定を受け、合併に進むべきだとする意見も出た」とし、さらに「委員の中にはこれまで水島工業基地建設促進協議会を作り、話し合つてきた玉島、児島の両市と協議する必要があるとの意見も出た」としたのは記事のとらえ方として正しい。
この点に関する吉沢記者の原稿は「各委員の意見では県の計画する七市二六ケ町村の合併より高梁川下流の四市あるいは三市を中心に新産都法の指定を受け合併に進むべきだとする意見を中心に県の提唱には消極的な意見の方が多かつた」となつていたが、それは当日の小委員会において、県案に対する賛否が論議された結果それに反対する意見が多かつたことを表現しようとする筆法であり、これを読む者にもそのような印象を与えるものであり、記事として正しいものとは言えない。
(3) 当日の小委員会における各委員の合併問題に関する意見
出席委員は一二名であつたが、尾高議長はその立場上意見の発表を差し控え、残り一一名の委員が意見を述べたが、それはつぎのとおりであつた。
(イ) 古谷委員は反対意見を述べた。
藤原、難波両委員は高梁川下流三市四市合併論を述べた。
山本、安原、田中、雨宮の四名の委員は県案賛成論を述べた。
(ロ) 秋山委員の意見は判然としない発言であり、これを県案に対する消極意見とみることはできない。
(ハ) 吉田馬太郎委員については、その発言中に倉敷には歴史もあり市民感情もある、とあるのを捉えてたやすく県案に対する消極意見とすることはできない。当時倉敷市民の多くは多額の交付金が得られるのであれば、新産都市の指定を受けた方が得策であると考えていたのである。
(ニ) 平山委員の意見は、基本的には県の計画に賛意を表するが、合併の時期、範囲の点に疑問を残す旨のものであり、県案に反対の意見とみることはできない。
(ホ) 藤川委員の意見は、倉敷、玉島、児島の三市は従来水島工業基地建設促進協議会をつくつて話し合つてきているのであるから、新産都市の指定問題についても当然右三市は連絡を密にし、話し合つてゆくべきであるとするものであり、これを三市合併論とみることはできないし、本件についての新聞記事に「委員のなかには、これまで水島工業基地建設促進協議会を作り、話し合つてきた玉島、児島の両市と協議する必要があるとの意見も出て………」と報道してあるのが右意見をさすものである。
(4) 右小委員会に関する記事は、各委員の述べた主要問題に関する意見をそのまま取り上げているのであり、それに関する吉沢記者の原稿は不正確であつた。
(5) 以上のように、右小委員会における各委員の発言内容に関する吉沢記者の原稿は、当日の議事の主題が何であるかをわきまえず、かつ各委員の表明した意見のとらえ方にも誤解のあるものであつて、これに関する山陽新聞の記事に嘘はなかつた。
(6) 被控訴人らは、本件記事の見出しに「広域都市」「地域指定受ける」とあるのは白を黒にした不当な歪曲であるというが、新聞記事における見出しはいわゆるキヤツチフレーズというべきものであり、本件の場合「広域都市」と横書きし、その下に「地域指定受ける」と縦書きしてあるのを、広域都市の地域指定を受けると読むべきものでないことは編集の常識でもあるし、読者は右記事を一読して、「地域指定受ける」とは新産業都市の地域指定を受けることであることをただちに諒解することができる。「広域都市」という横書き見出しは本件記事が広域都市問題の記事であることを表示したものであつて、新聞記事にこのような形式で見出しを付することは常に行われているところである。
(7) 本件記事のうち「新産業都市の区域は将来合併する必要があるとの点では意見が一致した」という部分も記者の原稿を改変したものではなく、「新産業都市の地域指定と合併は形式上切り離せても実質的にはほとんど切り離すことができない。新産業都市の区域は将来合併する必要があるとの点では意見が一致した」との記事は、当日の小委員会の「合併の時期、範囲についてはさらに検討する」との結論をうけて適正な地域で将来合併するということと実質的な差異は認められないのである。
(8) 以上の次第で、本件ビラにいうように、控訴人が記者の書いた原稿を書きなおし、白を黒にした嘘の報道をしたことはなく、この点に関する本件ビラの記載は全く根拠のない中傷、誹謗にすぎない。
3 山陽新聞の百万都市関係報道記事に被控訴人らの主張するような偏向は認められない
被控訴人らは推進記事と反対記事との扱いに差別があつたとし、その比較により偏向があつたという。
しかしながら、
(1) 報道記事の掲載回数は、その対象となるニユースの有無・多少によつてきまることであり、またその記事のスペースはニユースの内容等により大小を生ずるものであるから、記事の掲載回数、スペースの大小によつて偏向の有無を判断することはできない。
(2) 紙面における扱いの大小についても、これはニユース自体の価値の大小に関連する問題であり、トツプ記事の回数を比較して差別ありとするのは誤りである。
(3) 推進記事と反対記事との掲載回数、スペース等を比較するにあたり、ニユースの有無に関係なく掲載され、かつ比較的大きいスペースをさくのが通例であるキヤンペーンのための評論、解説その他の企画記事を推進記事に含めるのは正当でない。
(4) 倉敷経済研究会作成の岡山県南広域都市計画資料集によつて広域都市計画に対する推進的動きと反対的動きとの趨勢を見ると、反対の動きがとくに活発であつたとされている昭和三七年七、八月頃においてさえ賛成の動きのほうがはるかに大きいことが窺われる、而して新聞記事は或る出来事を対象として構成されるものであるから、出来事の差異が記事の構成に反映するのは当然のことであり、これをもつて偏向の証左とすることはできない。
4 「職場を兵営や刑務所のようにしようとするフアツシヨ的な就業規則、就業規則は職場の政暴法である」とのビラの記載は、虚構、歪曲、誇張であつて事実に反する。
ビラによつて攻撃する就業規則の改正は、従業員として当然守るべき常識的な事項を規定したにすぎず、一般企業はいうに及ばず新聞各社の就業規則にも同趣旨の規定はなされておりあえて異とするに足らない。
(1) 携帯品の取り扱いに関する規定(就業規則四四条)
新聞他社の就業規則では「会社は必要と認めたときは従業員の携帯品を点検することができる」と定めたものが多いが、控訴人は、「携帯品に不審の点がある場合その提示を求めることができる」と定め、規定の内容を具体的にし誤解を生じないよう配慮した。
(2) 入退場の規制に関する規定(同四三条)
入場を拒否され、退去を強要されるのが当然である場合を挙げてその旨を定めたものであり異とするに足らない。
(3) 従業員は就業時間中みだりに職場を離れてはならず、止むをえず離れる場合は上長に届出て許可を得べき旨の規定(同二四条)、面会、外出に関する同趣旨の規定(同二五、二六条)
これも当然のことを定めたものであり、その趣旨を正しく理解すれば異論のあるべきものではない。
(4) 被控訴人らは、会社が施設管理権を強調して組合活動・政治活動の制限・禁止をし、人権を侵害する職場規律と懲戒規定を拡大したというが、職場内での組合活動・政治活動の制限禁止は就業規則の改正と関係はない。
由来組合活動は時間外に行うべきものとされ、政治活動に至つては当然のことである。労働協約にも「組合活動は作業時間外に行う、組合は会社の施設及び構内で政治活動を行なわない」旨協定されており、会社が就業規則により或いはその施設管理権をたてにこれらの活動を制限しあるいは禁止しようとしたものではない。
したがつて被控訴人らのいうような意味の職場政暴法という非難は会社の就業規則に対しては当らない。
(5) 以上のように、控訴人の就業規則につき本件ビラに記載された非難はすべて曲解、誇張に基く虚構のものである。
5 本件ビラ配布行為の評価
(1) 労働組合においてビラ、機関紙、掲示等による情宣活動はしばしば行われるところであるが、それが正当な組合活動として許容されるにはおのずから限度があり、無制限に許されるものではない。その当否は、その目的・方法・内容・場所およびそれを行う時期などを総合して判断しなければならない。
本件ビラ配布はその目的、内容、時期などからみて政治活動とみるべきであり、組合活動としての労働法上の保護を受け得ないものであるし、ビラの記載内容はすでに検討したとおり虚偽、虚構の事実の記載や歪曲誇張した記述により控訴人と山陽新聞を中傷、誹謗し或いは非難攻撃するものであり、組合の正当な行為と認めることはできず、その内容が会社の名誉、信用を毀損しその業務を阻害する限り就業規則の定めるところにより、その作成配布に主導的に関与した被控訴人らが懲戒されるのは当然といわなければならない。
(2) そこで本件ビラ配布の影響をみると、会社職制、山陽新聞第一労働組合はそれぞれの立場からこのビラに憤激し或いは抗議し、また新聞の販売にあたる販売店は直接その業務に支障を生ずるに至つた。
(イ) 部長会は、このビラが、会社に勤務し新聞の製作に当つている組合員によつて作成配付されたことを重視し、会社に対しこの問題につき厳正な処理を望むよう要望書を提出した。部長会は各局部長、局次長、局総務によつて構成されているが、ビラが配布されるや各局部長はそれぞれの局で話し合つたうえ各局から代表を出しこの問題の対策を検討した結果前記要望書の提出となつたものである。
ビラの記載は直接編集を担当する編集局各部長にはとくに深刻な影響を与え、右各部長の憤激は一入強かつた。
右要望書は部長会の決議としてその構成員一同からうち一四名を代表者として控訴人社長及び役員会宛提出されたものである。
(ロ) 第一労組はこのビラが会社の名誉を毀損し信用を失墜するものであることを懸念し早急な回復の措置を会社に要望したが、会社がただちにその対策を決定しなかつたため、同労組自らの手でその対策を講ずることとし、昭和三七年九月七日岡山市内において第三万枚のビラを配布した。この間第一労組では、各単位職場で職場集会を開き論議したが、そこで一様に言われたことは、山陽労組が本件のような内容のビラを配ることは同じ新聞社で新聞の製作に当つている者に対する重大な侮辱であるということであつた。
(ハ) 本件ビラの配布により山陽新聞販売業務に著しい支障を来たした。購読を勧誘に行くと本件ビラの話しを持ち出されて断られる例があり紙数拡張業務が甚だしく阻害されたばかりか、他社の拡張員がこのビラを持つて山陽新聞の中止を勧めて歩いているという例もあつた。
会社では昭和三七年一〇月を国体拡張のピークとして九月からその運動に入つたところ、その当初において本件ビラが配布され、運動挫折の感が強く、その結果一〇月、一一月の購読中止が例年より三〇〇ないし五〇〇位多く出、各販売店への影響は深刻なものがあつた。
三 疎明関係<省略>
理由
一、控訴人が被控訴人ら主張のような業を目的とする株式会社であること、被控訴人らはそれぞれその主張のとおり控訴会社へ入社し、いずれも山陽労組の組合員であり、その執行部において正副執行委員長、正副書記長の組合四役の地位にあつたが、控訴人が昭和三七年一一月一二日被控訴人らをその主張のような理由で懲戒解雇したことは当事者間に争いがなく、また本件ビラの作成配布は山陽労組中央委員会、執行委員会で決定され、教宣部長福武彦三が作成したビラの原稿を執行部で検討し、被控訴人ら組合四役においてこれを確認したうえ印刷配布することを決定し、配布の実行にあたつても被控訴人らが組合員を指揮し自らもその配布にたずさわつたものである旨の控訴人主張事実は被控訴人らにおいてこれを明らかに争わないので自白したものとみなす。
二、被控訴人らは、本件解雇はあらかじめ組合の承認を得ることなくしてなされたものであり無効であると主張するので、まずこの点について検討する。
1 当時控訴人と山陽労組との間に締結されていた労働協約に、組合四役、執行委員、青婦部長に関する人事はあらかじめ組合の承認を得るものとする旨定められており、それに関する覚書には右にいう人事とは昇給、昇格および組合活動を理由としない解雇、賞罰、休退職は含まない旨定められていることは当事者間に争いがない。
2 本件ビラ(乙第一号証)の配布は山陽労組の名においてなされたものであり、それには合理化による首切り、良心的記者に対する不当配転に対する抗議、改悪された就業規則に対する批判等につき市民に共斗を求め、併せて百万都市一月合併反対の呼びかけの記載があることは当事者間に争いがないところであり、その配布の時期が控訴人主張のとおり百万都市反対運動が盛り上つていた頃であるとしても、右ビラの体裁から見て、それが百万都市反対運動のみを主題とする政治目的のためのビラであると断定することは困難であり、それは職場における労働者の経済的利益を守ることとそれに関連して百万都市反対を掲げたものというべきでありこれも間接に労使関係に結びつく問題であることは後述のとおりであるのみならず、労働組合は主として政治運動または社会運動を目的としてこれを組織することはできないが、本来の目的達成のためには政治活動をもなしうるものと解するので、右ビラ配布は政治活動であつて組合活動ではないということはできない。そうであれば本件ビラ配布は前記のようなビラの記載内容に徴し組合活動の一環としてなされたものというべきであり、控訴人は被控訴人らを懲戒解雇するについては、解雇同意約款によりあらかじめ組合の承認を得なければならない。しかるに本件解雇につき控訴人があらかじめ山陽労組の承認を得ていないことは当事者間に争いがない。
3 控訴人は、前記人事承認約款の設けられた経緯から見て、そこにいう人事とは人事異動をいい、これを明確にするため附属覚書に前記のように定めたものであり、また右覚書にいう「組合活動を理由としない」との限定は「解雇」のみにかかるといい、右約款成立の過程では主として人事異動の保障が論ぜられたことをうかがわせるに足る資料もあるが、右労働協約の他の条項と右約款の体裁とを比較するとき、右約款が、そこにいう人事が控訴人主張のように異動以外の人事を除外する趣旨で成立したものと解するにはいささか抵抗を感ずるものであり、成立に争いない乙第六三号証、第六五号証も右認定を左右しえない。
4 控訴人は、右覚書にいう組合活動とは正当な組合活動のみをさすものであるから本件ビラ配布のように仮にそれが組合活動であるとしても正当なものでない場合には覚書によつて同意約款から外されると主張するが、原審における被控訴人萩原嗣郎に対する本人尋問の結果によれば、右覚書は組合役員が破廉恥罪を犯すなどしたためこれを処分しようとする場合のようにおよそ組合活動と無縁なことがらを理由とする解雇にあつても組合の承認を要するとすることは不都合であるから、このような場合を除外する趣旨で定められたものであることが疎明されるし、またある解雇の理由とされたことがらが正当な組合活動にあたるか否かにつき労使間に争いがある場合に使用者である控訴人のみの判断によつてそれを正当な組合活動でないものとし右約款の適用を免れることができるものと解するのは相当でない。
5 控訴人は、本件懲戒解雇については組合の承認を期待しえなかつたのでその手続を経なくても右解雇承認約款に違反しないという。控訴人は被控訴人らを解雇するにつき控訴人の賞罰委員会に付議して事案の調査をさせることとし、賞罰委員会は被控訴人らに出頭を求めたが、被控訴人らも山陽労組も右出頭要求には応ずることができない旨回答したことは当事者間に争いがない。そうして原審証人松本純郎の証言、当審における被控訴人則武真一に対する本人尋問の結果、成立に争いない乙第六号証の一、二および弁論の全趣旨によれば、控訴人は本件解雇につき組合の同意を求めようとせずこれを賞罰委員会に付議して調査させたが、それは前記覚書により本件解雇については組合の承認を要しないものであるとの前提に立つたがためであり、被控訴人らおよび組合が賞罰委員会の出頭要求に応じなかつたのは正当な組合活動を、もともと組合活動に関係のない事項を理由とする懲戒についての具申機関である賞罰委員会のルートに乗せ、これに対して就業規則を適用して被控訴人らを懲戒することは不当であり、本件は団体交渉の場において組合の承認を求むべきであるとする見解に立つたがためであることが疎明されるし、また本件解雇は組合四役全員に対する懲戒処分であるから労使間で相当議論のあることが予想されることから考えると、たとえそれが組合の決定に基くものであつたとしても被控訴人らが賞罰委員会の事情聴取に応じなかつたからといつてただちに本件解雇に組合の承認をうる手続をとることが不要であつたとすることはできず、本件解雇は労働協約にいう解雇承認約款に違反するものといわなければならない。
三、つぎに本件懲戒解雇の理由とされているビラ配布行為について検討する。
1 本件ビラは、市民ないし読者に対し、控訴人に真実の報道を要求し百万都市一月合併反対のため右合併に賛成の立場をとる控訴人に抗議することを求め、併せて右合併問題に関する記事が虚偽であり三木県政に追随するものであること、合理化に伴う読者へのサービス低下と労働者に対する圧迫、批判的記者の不当配転、就業規則の改悪による労働者への締めつけなどを訴えたものである。
2 新聞報道事業を営む控訴人にとつては不偏不党の立場に立つて真実の報道をすることはその生命ともいうべきものであり、控訴人がその従業員によつて組織されている労働組合から右の点において欠けるところありとの指摘をうけその旨のビラを一般市民に配布されたことは一応控訴人の名誉信用を失墜しその業務に著しい支障を来たしたであろうことが推認され、またその旨の疎明資料も存するところであるが、本件ビラが配布された時期について見るに、原審証人松本純郎の証言によつて成立の真正を認めうる甲第七〇号証、右証言、原審証人浅田昭治の証言および被控訴人則武真一本人尋問の結果によれば、昭和三六年山陽労組によつて労組結成以来始めてとでもいうべきストライキが行われそれは同年七月頃一応の解決を見たが、昭和三七年二月第二組合である山陽新聞第一労働組合が結成され、同年七月下旬頃山陽労組は控訴人の就業規則改悪を非難するビラを一般に配布したが、本件ビラはこれにひきつづいて労使関係が緊迫した状態にあるときに配布されたものであることが疎明され、また弁論の全趣旨によれば山陽新聞は岡山県内においてはもとより近県における地方紙としては一流紙に数えられていることが窺われるし、さらにビラの内容はやや具体性に欠ける部分もあり、このようなことから山陽新聞の作成ないしは販売に従事している者が本件ビラの記載内容に憤慨し控訴人および山陽新聞の信用名誉が毀損されたと思料したことは十分諒解できるが、一般市民読者のうち百万都市推進運動に賛意を抱いていた者ないしは右反対運動に格別の関心を持たない者が右ビラの内容をそのままに受けとり、そのため控訴人の名誉信用が失墜しひいてはその業務に著しい支障を来たしたか否かは些か疑問であり、かえつて当審証人高橋邦英の証言、右証言によつて成立の真正を認めうる乙第五五ないし第五八号証によれば本件ビラ配布により山陽新聞の名誉信用は左右されるところがなかつたことが疎明されるし、また本件ビラ配布後購読中止が急増したとの疎明もあるがこれとても原審証人尾崎博の証言によれば同年一一月新聞購読料が値上げされたとのことであり、このことに弁論の全趣旨を併せ考えるとたやすく右購読中止が本件ビラ配布によるものであり、これにより控訴人がその業務に著しい支障を蒙つたものと断定することはできない。
3 さらに新聞倫理綱領にも述べられているとおり、民主的平和国家建設にあたり新聞が公衆に与える影響は多大であり、その果す役割りは重大であるから、新聞は原則として報道、評論につき他から拘束されることのない自由を有しそれは新聞の権利であると同時に義務でもあり、報道にあつては私見をさしはさむことなく事件の真相を正確忠実に伝え、評論にあつては世におもねらず所信は大胆に表明されなければならない。新聞事業が公共性をもつといわれる所以である。
而して企業が公共的性格をもつ場合にはその営業方針は直接・間接に国民生活に影響を与えるものであり、その企業内事情を暴露することは公益に関する行為として、それが真実に基くかぎり企業はこれを受忍すべきであるし、また組合活動である情宣活動を評価するにあたつては組合活動の特殊性が顧慮されなければならない。すなわちそれが使用者に対し抵抗的・暴露的色彩をもつのは自然のいきおいであり、それが使用者の名誉信用を毀損し違法と評価さるべきものであるか否かについても組合活動の特殊性が顧慮されなければならず、情宣活動はその内容が直接間接に労使関係に関連するものであり、しかもそれが真実に合するものであるかあるいは真実と信ずべき特段の事情があれば正当な組合活動として、市民法の分野におけると同様の非難を加えることはできないものというべきである。そして本件ビラの内容は直接労使関係に関するものでありあるいは編集方針の如何に関する部分も新聞事業の特殊性からくる労働者の職業的利益の擁護との関係で労使関係に関連するものということができる。
4 そこで本件ビラの内容が真実に合致するものであるか否かなどその当否につき控訴人の主張にしたがつて順次検討する。
(1) “真実の報道”を要求しよう、と見出しに標記したのは後記(3)(4)の点に関連してなされたものと考えられるので、その部分において検討することとする。
(2) 山陽新聞の経営者は「少々かなづかいがおかしくてもほおつておけ」といつています。「読者へのサービスが低下してもいたしかたない」というのです。“紙面もいいかげんでいい”と経営者がいうのも………。との記載について。
この部分が、昭和三七年八月一七日控訴会社校閲部長吉井木正夫が校閲部員に対してした指示説明に関するものであることは当事者間に争いがない。而して原審証人寒竹哲生、同石丸豊(第一、二回)、同吉井木正夫、当審証人吉井木正夫、同石丸豊、同寒竹哲生の各証言、成立に争いない乙第六二号証の各一部によればつぎの事実を疎明することができ、右疎明資料および当審証人森隆志の証言のうちつぎの認定に反する部分は措信しない。
控訴会社では近代的経営管理のため昭和三七年七月社内に本社役員で構成する総合企画審議会を設け、その一つの具体策を検討するため同月末漢テレ専門委員会が設けられついで校閲基準設定のため小委員会が設けられ、そこで検討の結果、活字のさしかえを減し、さしかえに伴う誤植の危険性を除き、校閲作業および工務作業を能率化するため試験的に校閲基準を緩和することを定めた、これは従来共同通信社から送られてくる漢テレ原稿のスタイルを控訴会社独自のスタイルに合わせて活字のさしかえをし、同時にこれを共同通信社から送られてくるモニターに原稿照合して校閲していたものを、そのスタイル基準を緩和し共同通信社のスタイルに従い一つの単語を漢字と仮名で表示することを許容し、片仮名と平仮名とによる表示の使い分けを廃止するなどし、またモニター原稿との照合は通信機械が正常に作動しているかぎり無用のことであるのでこれを廃止しコゲラのみによつて校閲することとするが、仮名遣い、送り仮名、当用漢字、音訓などは従来どおり厳重に校閲し、見出しにあつてはこの点も校閲を緩和することとするものであり、校閲部長はその旨を前記校閲部会において部員に指示説明したが、同部長はその際、原則として共同通信社からの漢テレ原稿はコゲラ校閲によることとするが、明らかに誤りであると認められる部分、人名、数字は従来どおりモニター原稿と照合すること、校閲基準の緩和は試験的に実施するがこの方針は変えることはできない、その実施は時期尚早の感はあるが実施しているうちによくなつてくる(この点は、試験的に実施する方針を変更できないというのか、試験的に実施するがそのうち不都合は改善されるので緩和の方針を変更できないというのか、その発言の趣旨は必ずしも明確ではない)、自社原稿についてはそのスタイルが共同通信社の原稿のスタイルに合わなくてもよい、そのうち自社原稿が完全原稿になれば不都合は解消するので、それは一時的のものであり、したがつて仮に読者に対するサービス低下をきたすことがあつても一時的のものである、音訓などの用法は見出しについては緩和するなどと述べた。そうしてこれを実施した結果紙面に格別不体裁を招いたことはなかつた。
以上の事実が疎明されるが、他方前記疎明資料によれば、モニター原稿と照合することをしないコゲラ校閲の方法によるときは、コゲラが作成されて校閲部へ送られる段階で間々起るコゲラの一部の脱落を校閲で見逃すおそれがあり、また予定原稿の未来形を過去形に訂正することを逸する危険性が多分にあることが疎明される。
以上の事実によれば、右校閲基準の緩和は過渡的にもせよ紙面における文字の不統一不体裁をきたし読者へのサービス低下となるおそれがあるとの見方もありうるところであるし、また暫定的にもせよそのような現象が起りうることを校閲部長が認めていたことは前に認定したとおりであり、組合の右指摘はたやすく否定しさることのできないものである(もつともビラの「かなづかい………」の記載は校閲部長の前記指示説明の内容に合致しないものではあるが、前記乙第六二号証によれば、これはビラ原稿の作成者が、ある言葉を片仮名で表わすか平仮名で表わすかを緩和するとの指示説明を、仮名遣い、すなわち同音の仮名の使いわけ、国語を仮名で書き表わすときのきまりの問題と混同したことによるものであることが疎明され、被控訴人らのビラ作成にあたつての手落ちは責められなければならないが、これも前記判断を左右するほどのものとは解しえない)。
(3) 百万都市推進の宣伝をくる日もくる日も気狂いのように続けています。独占本位の三木県政のご用をうけたまわる広報紙になりさがつている。との記載について。
岡山県がたてていた岡山県南都市一月大合併計画を控訴会社が推進し、これをテーマとしていわゆるプレスキヤンペーンを行つていたことは当事者間に争いがなく、原審証人矢吹住夫の証言によつて成立の真正を認めうる甲第七六号証、原審証人松岡良明の証言および弁論の全趣旨によれば右百万都市合併問題に関する山陽新聞の報道、評論記事は県の合併計画を批判するものより推進するものに圧倒的に多くのスペースがさかれており、これは前記のとおり控訴人が右合併計画をテーマとするプレスキヤンペーンを行なつていたことによるのは勿論であるが、当時岡山県総評を始めとする諸団体、政党などの間で右計画への反対運動が起つており、また諸学者、有識者が批判を加えていたことでもあり、百万都市合併実現の暁における数多くの利点もさることながら、水島コンビナートとの関連において地域住民の蒙るであろう損失についてもさらにこれを解明し、より一層問題点の開示に努めることが望ましかつたことは否みえないところであつたことが疎明され、また山陽新聞が三木県政の御用紙に堕していたとする疎明資料はたやすく措信し難くこの点は疎明しえないが、原審証人藤川昌己、同鬼丸弘行の証言によれば巷間の一部には山陽新聞が三木県政の御用紙であるとの批判も行なわれていたことが疎明でき、右のような控訴人の編集態度が合併計画を推進する岡山県の姿勢と合致するものの如く見えたことから、山陽労組が控訴人の経営方針の批判を市民に訴えたものである。
(4) 記者の書いた原稿をかきなおし、白を黒にしたウソの報道をしたり、百万都市や一月大合併への皆さんの疑問や反対の声を正しく伝えることをこばんでいます。との記載について。
原稿を書きなおし、白を黒にしたウソの報道をしたとの指摘が、具体的には昭和三七年七月一六日開催された倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会小委員会の議事に関する控訴会社倉敷支社所属記者吉沢利忠の原稿とそれを掲載した同月一七日付山陽新聞記事とに関するものであり、吉沢記者の原稿は県の提唱する計画には消極的意見が多かつたとの内容であつたが、新聞記事ではそれが一部委員から県案と異る意見も出たと書き改められたことは当事者間に争いがない。
そこでまず右新聞記事について見ることとする、成立に争いない乙第一四号証の一によればその記事の内容はつぎのとおりである。「広域都市」の横書き見出しの下に「地域指定受ける 倉敷市議会特別委 合併時期なお検討」の縦書き見出しを附し、その記事内容の要旨は「倉敷市議会県南広域都市調査研究特別委員会は一六日小委員会を開き、1、新産業都市の地域指定を受ける、2、合併は必要だが新産業都市の範囲や合併の時期などについてはさらに検討する、との結論を出した。同日の小委員会では、一部委員から県の計画する七市二六ケ町村の合併より高梁川下流の四市あるいは三市を中心に新産業都市の地域指定をうけ合併に進むべきだとする意見も出た。しかし新産業都市の地域指定と合併は形式上切り離せても実質的にはほとんど切り離すことができない、新産業都市の区域は将来合併する必要があるとの点では意見が一致した。倉敷市が新産業都市の区域に入るということについてもほとんどの委員が賛成したが、その範囲と合併の時期については今後の問題として残された。水島工業基地建設促進協議会をつくり話しあつてきた玉島、児島の両市と協議する必要があるとの意見も出た。」というものであるが、この記事を検討するに、広域都市の地域指定をうけるとも読める見出しを含めてそれから読みとれる内容は必ずしも明確であるとは言い難いが、当日の小委員会の議事のテーマは、1、倉敷市が新産業都市建設促進法に基く区域指定をうけることの可否、2、県の提唱する合併計画に対しどのような態度をとるべきか、の二つであり、1については区域指定をうける、2については合併は必要であるがその時期を検討する、との結論を出したが、その議事の過程において一部委員から県の計画と異り三、四市合併が適当であるとの意見があり、玉島、児島両市と協議する必要があるとの意見もあつたが、県案のいう合併については多数の意見が賛成であつたように読みとれる。
ところで原審証人吉沢利忠、同藤川昌己、同古谷重幸、同二宮欣也(一部)、当審証人吉沢利忠の証言によつて成立の真正を認める甲第八九号証の一、二、右証言、同古谷重幸の各証言および弁論の全趣旨によれば、前記特別委員会は倉敷市議会議員全員で構成され、その名の示すとおり百万都市県南広域都市に関する諸問題の調査研究をし、その結果を市民に周知せしめることを目的とするものであつたが、さらにその下部組織として市会議長、同副議長ほか一二名の議員で小委員会を構成し右調査研究に当つてきた。昭和三七年七月一六日開催の小委員会は、過去の調査研究の結果を特別委員会へ報告するため主として新産業都市建設促進法に基く区域指定をうけるべきか否か、県提唱の百万都市合併計画に対し如何なる態度をとるべきかを検討・協議する目的で開催されたが、その席上市会議長を除くその余の委員が意見を表明し、百万都市合併計画については、雨宮、山本、安原、田中の各委員は県案に賛成、古谷委員は県案に反対、そのほかの五名ないし六名は合併を必要とするのであれば高梁川流域の三市あるいは四市合併が妥当であるとの各意見を表明し、結局県案である百万都市合併には消極であるとする意見が多かつたことが疎明され、原審証人二宮欣也、同片山新助、当審証人雨宮茂、同山本主一の各証言のうち右認定に反する部分はたやすく措信しがたい。
そうであれば吉沢記者の前記原稿のうち百万都市に関する部分は当日の小委員会の結論に合致していたものというべきであるし、また原審証人二宮欣也の証言の一部によれば、当時控訴会社政治部長であつた二宮欣也は吉沢記者から送られてきた前記原稿の内容が、すでに他から入手していた右小委員会の議事内容に関する情報と異るところがあつたのでこれを改めるべく吉沢記者に尋ねようとしたが、同記者の所在が不明であつたので県案賛成委員の一人である雨宮委員にただしたうえ右原稿を書き改めたことが疎明され、このことから組合が控訴人の新聞報道に対しビラの前記文言のような非難を加えたのは無理からぬものがあるというべきである。
(5) いま社内では良心的な記者が不当な配転を押しつけられています。山陽新聞を兵営や刑務所のようにしようとするフアツシヨ的な就業規則。との記載について。
まず右ビラの記載のうちその前段の部分について見るに、そこにいう良心的な記者とはビラの論旨からみて山陽労組員の代名詞であることはなんびとにも明らかである。而して原審証人吉沢利忠、同間壁金一(一部)、当審証人栗山欣也、同福武彦三の各証言、原審における被控訴人神吉秀哉、同則武真一に対する各本人尋問の結果によれば、右疎明資料に現われた山陽労組員に対する配転のうちには、その配転時期、配転先などの諸般の事情、昭和三六年六月の配転にあつては同年七月争議妥結のとき、控訴人がこれを撤回したことなどからみて不当労働行為の疑いのあるものがいくつか見受けられることが疎明されるし、またそうでないものにあつても前記事情を考慮すれば組合がこれを不当配転であるとして非難するのも無理からぬものがあつたと考えられ原審証人平井文雄、同間壁金一の各証言および成立に争いない乙第三四号証のうち右認定に反する部分は措信できない。
つぎに就業規則がフアツシヨ的である旨の記載について判断する。成立に争いない甲第八六号証、乙第六号証の一、原審証人松本純郎、当審証人浅田昭治、同福武彦三の各証言によればつぎの事実が疎明される。控訴人の旧就業規則はそのうち災害補償、慶弔見舞等に関する部分を除きその骨子においては昭和二二年九月制定以来同三七年八月一日新就業規則が施行されるまでなんらの改正を見なかつたのであるが、その間控訴人と労働組合とが協議のうえ労働条件などを改訂することが数度あつたため、就業規則の定めと労働協約ないし現実の労働慣行との間に背離を生じ、そのため就業規則改訂の必要が起つたので控訴人は昭和三五年頃からその計画を樹て、労務部員浅田昭治が作成した改訂案を労務管理研究会で検討したうえ、役員会で新就業規則を定め昭和三七年八月一日から施行することとした。而して就業規則のうち労働組合が強い関心を示す労働条件その他従業員に対する規制などに関する部分についての改訂の内容を見るに新就業規則はあたらしく第二四条によつて従業員の労働時間中の離席を、第二五条により同じく面会を、第二六条により同じく外出をそれぞれ規制し、第四四条により同じく入退場時の携帯品提示を規定し、第四三条により入場の規制および退去強制に関する定めをしたものであり、右各規定はそれが適正に運用されるのであればこれを従業員などに対する不当な規制であるとすることができないのは控訴人主張のとおりであるが、その運用を誤るときは人権侵害の兇器と化する可能性がないとは断じえない類のものである。以上の事実が疎明される。しかも右新就業規則施行の時期たるや、すでにみたとおり昭和三六年七月頃解決をみたストライキと同三七年二月の第二組合である山陽第一労働組合の誕生とを二つの頂点とした労使間の緊迫状態が尾をひいていたころであつたから、組合がこれを本件ビラに記載された前記のような表現で非難攻撃したのは首肯しうるところである。
四、このようにして本件ビラの記載内容は、大筋において真実に合致するものであり、このことに前記2、3に述べたことを併せ考えると、本件懲戒解雇はその実体面に瑕疵があり、またその手続面においても瑕疵があることはすでに認定したとおりであるから無効というべく、また本件ビラの内容のすべてが真実に合致するものとは断定しがたいがゆえに被控訴人らになんらかの懲戒を加えうるものとしても、前記認定の事情を考慮すれば成立に争いない乙第六号証の一によつて疎明される控訴人の就業規則所定の七種類の懲戒のうち最も重い懲戒解雇処分をもつて被控訴人らに臨むのは懲戒における裁量の範囲を著しく逸脱したものというべくその実体面に瑕疵があり、またその手続面に瑕疵があることは前記のとおりであり本件懲戒処分は無効であるというべきである。
五、したがつて、被控訴人らは控訴人の従業員としての地位を保有し賃金請求権を有するものというべきである(なお被控訴人萩原が本件解雇当時組合の専従者として休職中であつたことは同被控訴人の自認するところであり、専従者が専従を解かれたときは控訴人はその復職を認める旨の協約が存するところ、控訴人が昭和三八年七月一日同被控訴人の専従解除の通知を受領したことは当事者間に争いがなく、右事実に弁論の全趣旨を綜合すれば被控訴人萩原はその主張の日に専従の職務を解かれたことが疎明されるから同被控訴人はおそくとも同月二日には復職し控訴人から賃金の支払いを受ける地位を回復したものというべきである)。そして、被控訴人らの解雇当時の賃金月額およびその各支払日が別紙賃金表記載のとおりであることは当事者間に争いがない。
六、被控訴人らはいずれも労働者であり、したがつて本案判決の確定まで被解雇者として取り扱われ賃金の支払いを受けえないときは生活の困窮などにより著しい損害を蒙るものであることは当審における被控訴人則武真一に対する本人尋問の結果および弁論の全趣旨によつてこれを疎明することができる。したがつて本件仮処分申請はその必要性があるものというべきである。
七、よつて本件仮処分申請は理由があるので保証を立てさせないでこれを認容すべく、これと同旨の原判決は相当であるから本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 林歓一 中原恒雄 西内英二)
(別表省略)